自社の従業員が突然退職し、それが元役員や元従業員からの「引き抜き」によるものだと判明した際、経営者が受ける精神的苦痛は大きいものです。「裏切られた」「会社に大きな損害が発生した」と、怒りや悲しさを感じるのも当然のことです。
では、自社の従業員を違法に引き抜かれた場合、相手方にいくらの損害賠償を請求できるのでしょうか?
結論からいうと、裁判所が「損害」として認めるハードルは決して低くありません。
本コラムでは、違法な引き抜きに対して実際に請求できる損害の項目、裁判所の傾向について、分かりやすく解説します。
このページの目次
1.引き抜きが「違法となる基準」とは?
まず、前提として、従業員の引き抜きが違法となる基準を簡単に説明します。
裁判例では、引き抜き行為が単なる勧誘の範囲を超えて、「社会的相当性を逸脱した背信的な引き抜き行為である」場合には、違法であり、損害賠償請求が認められるとしています。
つまり適法か違法かを分ける最大の基準は、その引き抜きが、「社会通念上、許される範囲(社会的相当性)を超えて悪質といえるか否か」です。
2.損害の内訳と裁判例の傾向
では、引き抜きが違法と評価された場合、損害として、どこまでが認められるのでしょうか。以下では、損害の項目ごとに、裁判例の傾向も踏まえて、解説していきます。
(1)売上減少分(逸失利益)
まず、第一に考えられるのは、従業員の引き抜きによって生じた売上減少分です。実務上も、この項目が請求額として、一番大きい金額になることが多いです。
裁判所の傾向として、①【引き抜かれた従業員が挙げていた粗利益】から、②【引き抜かれた従業員の給与等の人件費】を差し引いた金額を、損害として認定することが多いです。
そして、①の損害として認める粗利益の期間ですが、1か月~6か月分のいずれかで認定されているものが大半です。なお、従業員の引き抜きのみならず、顧客の引き抜きも同時にされている事案で、行為態様が大規模かつ極めて悪質で、競業行為がなければ契約が確実に維持されたと思われた事案では、期間として1年以上の損害発生が認められたものもあります。
もちろん、引き抜かれた会社経営者の立場からすれば、売上減少分全額を損害として認められるべきとお考えになると思いますが、裁判例上は、そのような取扱いはされていません。
この理由として、裁判例では、以下の2つの理由が挙げられています。
①従業員には、退職・転職の自由が認められていて、従業員の自由意志による退職・転職によって企業に損害が発生しても、その損害は、原則として企業が受け入れなければならない
②企業としては、適宜の方法で従業員を補充して、退職・転職による損失を最小限にするために努力するのが通例であり、元の業績に回復するまでの期間が長かったとしても、企業がこれを負担しなければならない
(2)研修期間中の給与
引き抜かれた従業員の育成期間中の給与については、事例毎に判断が分かれています。
傾向としては、教育内容、教育期間の長短、教育期間中に従業員が研修以外の業務に従事していたか、引き抜き時期が教育期間中であるかなどによって、判断されています。
裁判例上、①研修期間中の従業員が引き抜かれた事案で、②その研修期間中、歩合給ではなく固定給が支給されており、③研修期間中にその従業員が売上を上げていなかった場合に、研修期間中の固定給を損害として認めた事例があります。
他方、同一の事例で、研修を終了していた従業員については、育成期間中の給与が損害として認められていません。これは、当該従業員が、会社在籍当時に(研修期間終了後に)、研修の成果として、売上実績を挙げていたと判断されたためです。
裁判例の傾向からして、研修期間中に従業員が引き抜かれた場合で、その研修期間中も従業員が売上を挙げていなかった場合など、育成期間中の給与を全く回収できていなかった場合には、育成期間中の給与が損害として認められやすいといえます。
(3)新たな従業員の募集費用
新たな従業員の募集費用についても、事例毎に判断が分かれています。
裁判例の傾向として、多数の従業員を引き抜かれ、従業員を補充する必要がある場合には、従業員募集の広告費用についても、損害として認められています。
他方、その会社において、従業員の退職の有無やその人数にかかわりなく、恒常的に募集広告を行っていた場合には、従業員の募集費用が損害として認められていません。
(4)弁護士費用
従業員の引き抜きが違法であると評価された場合には、弁護士費用も損害額として認められています。
但し、その金額については、実際に弁護士に支払った金額ではなく、裁判所が認めた損害額の10%が基準となっています。
(5)その他
引き抜き行為をした元取締役や元従業員に支払っていた給与も損害にならないかとのご相談を頂くことがありますが、実務上、これらの給与については、返還請求が認められておらず、損害としても認められていません。
次に、引き抜き行為者に支給した退職金の返還を求めたいとのご相談を頂くこともあります。
退職金の返還については、①就業規則などで、従業員の引き抜きを行った場合には退職金の返還を求める旨の規定が存在し、②今回の引き抜き行為が、これまでの貢献を帳消しにするほどの著しい背信行為があったと評価できる場合には、退職金の返還請求が認められる傾向にあります。
実務上、就業規則に退職金返還の規定が存在している場合には、引き抜き行為者に対して、退職金の返還も求めていくことが多いです。
3.損害額が高額になるケース
裁判所が「損害額」を認めるハードルは決して低くありませんが、過去の裁判例では、損害額が高額になっているケースもあります。
例えば、従業員の引き抜きのみならず、顧客の引き抜きも行われた事例で、法人の経営を左右するほど重大な損害を発生させたとして、7200万円もの損害賠償請求が認められています。
また、法人の執行役員規程で、従業員の引き抜きを行った場合の違約金として、「引き抜かれた従業員の前の1年間の給与額(賞与金額を含む)相当の金額」を設定しており、引き抜かれた従業員が複数であったため、合計4000万円以上の請求が認められた事例もあります。
但し、過去の多くの裁判例や実務上の取扱いを考慮すれば、従業員が引き抜かれたとしても、裁判所が認める損害額は、企業に実際に発生した損害額を下回ることがほとんどです。
そのため、企業においては、適切に、引き抜きへの予防策を立てておくことが重要といえます。
4.最後に
今回は、従業員が違法に引き抜かれた場合に認められる損害について、損害の項目や裁判例の傾向を踏まえて解説しました。
当事務所は、1983年の創業以来、企業の顧問弁護士として、多くの労働紛争を解決して参りました。
今回のような、従業員の引き抜き案件についても、多数の対応実績がありますので、お困りの企業様は、お気軽に当事務所までご相談ください。

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